サブタイトルは、「近代日本のビジュアル・メディア」。なるほど、確かに郵便が庶民の情報伝達の中心だった時代もあった。
この国の絵はがきの歴史は、明治末期に私製葉書が許可されるようになってから始まる。それまでは官製葉書だけだった。官製葉書に絵はがきらしいものもあったにはあったが、以下略。
絵はがきには時代が読み取られる。絵はがきの題材になっているものが、大変に面白い。絵だけかと思ったら、案外写真絵はがきが多いのに驚いた。当然、カラーは後で手で彩色されているというものだ。祭り、花見も面白いが、海水浴の絵はがきがまた面白い。海上相撲というイベントがあって、海の上に櫓が組まれている。力士が一人、勝利を告げている行事が一人乗っている。そして、もう一人の力士はというと、姿が無い代わりに、後方に巨大な落下時の水しぶきが上がっている。いや、これは上手い。海水浴がこの国で奨励されたのは、イギリスのように健康の面だけではない。日露戦争の大海戦で勝ちを味わった為、日本の海事に重きを置こうとする政府の思惑もあったのだ。これは盲点だった。
もう一つの雑学が、鈴蘭灯。電気街灯の小さいモノをいくつかずらしてつけたこれは、実は日本人のアイデア。本当は道幅の狭い日本の道にあった街灯はアーチ式、と考えていたのだが、京都の葵祭の山鉾巡行に支障があるために、考えられたそうだ。だから、左右対称に設置されず、互い違いに設置され、山鉾が通りやすいようになっていた。それを日本中の商店街がマネをしたというわけ。
絵はがきには、災害のものもあった。新聞だけでは惨状を伝えきれないとばかりに、震災の水害の颱風の被害写真がそのまま絵はがきになる。中には、現代では信じられない、黒こげの遺体そのままのものまであったらしい。それもまた立派なメディアだった。送り手側が、庶民である、という点で、所謂、ニュース発信を一般市民が選択できた手法である、とも言えると思う。
絵はがき以外の時代の見方が判って面白かった。