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    12月31日「日本の染型」青幻舎

    • 2006.12.31 Sunday
    • 21:33
     親の趣味が型染め(正確には、紅型)なので、その為に借りてきた。
     すげえ、不可思議な本で、ひたすら、型染めの版が続く。しかも、文庫本で、モノクロ。モノクロだけど、茶色で印刷されているので、かなり、不思議本。タイトルを見なければ、全世界アヤシゲナ文庫本1000冊にランクイン出来るくらい。
     でもなあ、これ、切るんじゃなく、彫るもんである。垂直に切り抜かないといけない。しかも、かなり、細かい。これを手作業で切り抜くのか!?ってえくらい、細かい。
     職人、万歳。

    12月30日「零崎軋識の人間ノック」西尾維新

    • 2006.12.30 Saturday
    • 11:43
     ライトSFというより、ライトノヴェルにしておけばよかった。
     零崎一賊の話。人間失格の人識14才の頃の話。”大将”、シームレスバイアスの軋識(もう一つ、実は名前があるんだが、これはネタバレか)27才、それから萩原子荻13才、西条玉藻はまだショウガクセイ、匂宮出夢も14才、それから、赤神イリヤも十代半ば、闇口濡衣はほとんど出ないとして、憑依、そして20才になったばかりらしい人類最強。オールスターキャストか?
     話としては、子荻が言っていた通り、ドラゴンボールのトーナメント制。予選の話。
     取り敢えず、おまけについていた零崎一賊の人間コロシアム という名のゲームカードが楽しそうだった    問題は、6種類しかない、という事で。

    12月29日「楽器への招待状」柴田南雄 新潮文庫

    • 2006.12.29 Friday
    • 21:31
     珍しく、見開き片面カラー写真の文庫本。ただし、古い。めさ、古い。だから、今ではメジャー(というか、自分の趣味としてメジャー)な楽器も、ここではすげえ珍しげに書いてある。ハーディガーディとかね。
     これは、テキストとして十分使える。オモシロイ。

    12月28日「ドールハウスへの招待」新見康明 知恵の森文庫

    • 2006.12.28 Thursday
    • 21:27
     ドールハウス=人形ごっこの家 ではない。ミニチュアハウスである。別に、実際に人形がついているとは限らない。
     かつては、良家の女子教育に使われていた。良き主婦に育てることが、女子教育の目的だった。主婦は、使用人を使い、屋敷の多くの部屋を管理する。
     あちらでは、ドールハウスはオトナの男の趣味なんだそうだ。まあ、そうかもしれない。自分で作る。または、菓子のおまけを集めて作る。それが、そのまんま、骨董になり、資料的価値が生まれる。
     確かに、これは、はまったら抜けられなくなりそうな道楽だ。
     でも、時代を映し出すものであるのなら、この時代をいつか懐かしむような頃、この時代はどんなドールハウスになるんだろう。ちょっと複雑な気分になった。

    12月27日「YS−11世界を翔けた日本の翼」中村浩美 詳伝社新書048

    • 2006.12.27 Wednesday
    • 21:24
     ついこないだまで、沖縄の離島を結ぶ翼として活躍していたYS11。流石の自分も、名前だけは常識としてどっかで聞いていたんだが、実は、すげえ機だったみたいだ。国産飛行機、ってやつが、このクニのその時代で、どういう意味をもっていたのか。企業が集まって、一つの飛行機を作り上げる。
     しかし、最初は絶賛されていたのが、ちょっと落ち目になってきたら、すっげえ勢いで叩き出すこのクニのマスコミつか、大衆つかは、自分はやっぱりあんまし好きやない。

    12月26日「自分の顔が許せない!」中村うさぎ+石井政之 平凡社新書235

    • 2006.12.26 Tuesday
    • 21:19
     全然知らなかったんだが、この中村うさぎ氏という方は、美容整形を繰り返した方なんだそうだ。どうやら有名人らしい。ふうん。で、対する石井氏は、生まれつき顔に赤いあざがある。血管がつながっていて、ぶっちゃけ、今の医学では、とれない。この二人の対談。
     自分は、自分の顔をコワイと思っている。でもまあ、そう、執着はしていない。ま、顔は顔ぢゃん?みたいな。石井氏がそうらしいが、自分も、ヒトの顔を徹底的に覚えられない。だいたい、顔なんかどうだっていいぢゃんか、みたいな。
     でも、自分の顔で、すげえ悩む人々が居るってのは、よく分かった。で、そういう人々が、石井氏にすがってくる。これってどうよ、とか、自分は思ってしまう。本人は、すげえ悩んで、すげえ苦しい。でも、それって、視野狭窄じゃん。価値基準がどうしようもなくなっちまうって事なんだな。
     中村氏の言い分も、まあ、分からないわけではないが、自分は圧倒的に石井氏の見方の方が、すんなり来たね。

    12月25日「女はなぜ突然怒り出すのか?」姫野友美 角川oneテーマ21

    • 2006.12.25 Monday
    • 21:16
     男女の脳の差ってのは、常識だと思っていたが、これは、割とその常識を比較的タダシイカタチで、全然初耳な素人の人々に説明する本。「話を聞かない男・地図が読めない女」は男の立場で書いてあったが、これは女性が書いているらしい。
     読んで思った事。
     女て、えらい事なんやなあ。
     以上。

    12月24日「武家の棟梁の条件 中世武士を見なおす」野口実 中公新書1217

    • 2006.12.24 Sunday
    • 21:14
     要約すると、中世武士像ってのは、後の政権が意図的に美化して作り上げたもので、本来はそんなウツクシイ正々堂々としたもんじゃないんじゃねえの?って話。というか、ぶっちゃけ、ヤクザとか暴力団とか、そういう色が濃かったんじゃねえの?って話。自分的には、そらそうやわなあ、な感想。文化として称揚するのは、まあ、それはそれで熟してくればウツクシイ文化ではあろうが、真実と事実は違うぞってのが自分のスタンスだからな。

     例えば八幡太郎。これは、戦前の唱歌では、思いやりのあるヤサシイ強い武士、という描かれ方をしていたが、とんでもない。
     梁塵秘抄には、「鷲のすむ深山には 概ての鳥はすむものか おなじ源氏と申せども 八幡太郎はおそろしや」とある。
     梁塵秘抄は、すげえオモシロイ書物で、万葉集とちょいと似たところがある。万葉集は、上は天皇から、下は餓死寸前の貧乏人まであって、それってまた、ものすっごい事だと思うのだが、梁塵秘抄は、言ってみれば、”民衆”の流行歌集。無論、編纂したのは貴族階級かその辺の学がある=ある程度以上の身分のニンゲンなんだろうが、ここにあるの歌を、上は上皇から、下は乞食まで歌ってるってのは、やっぱりものっすごい事だと思う。作ったのは、恐らくは職業芸能人だと推測されている。乞食=河原者。そこには、歌舞音曲を生業とする職業芸能人も含まれた。恐らくは、その中の遊女(江戸期の遊女ではなく)の類が歌い踊ったと思われる。で、それを、大喜びでみんなが習って歌う。このクニって、すげえな、とか思うけど、そこんところは、西洋の吟遊詩人などの職業芸能人と一緒か。オンガクってのは、為政者にとっては恐ろしいものなんだな、と、つくづく思う。
     話がそれた。
     ともかく、その八幡太郎だが、梁塵秘抄にある通り、ともかく、恐ろしい。後の世に美化されたのとは大違いな記録がざくざく出てくる。女子供でも容赦なく惨殺するわ、自分の過去のクツジョクを言い回っていた敵方のニンゲンをとらえたら、歯をかちわって舌をひっこぬき、木に吊した足元に、そいつの主君の首を置く、みたいな事をやっている。
     でも、だから酷いってわけじゃなく(いや、酷いには酷いんだが)、それはそういう時代だったって事。江戸期にこれをやったら、堂々と酷いと言い切れるだろうが、平安末期の東国武士にとっては、これは全然酷くも何ともない。舌ひっこぬき云々の刑罰については、単なる私憤だけでなく、呪術的意味がある行為だったりもするんだろう。
     しかし、同じ時代の京の貴族や京の武士=平家一門にとっては、それは野蛮そのものでしかなかった。文化レベルが違うのだ。レベルと言ったら語弊があるな。文化コードが違う、と言うべきだろう。
     彼等の文化コードは、我々のそれとは違う。どちらかというと、ヤクザや暴力団に近い。戦の時の名乗りは、要するに、「てめえ、俺を誰だと思ってやがるんだよ!」というヤツである。自分より弱い者に対して、そりゃあもう、情け容赦も筋も法も無い。彼等は縦のつながりで生きている。所領が西国よりも果てしなく広い。だから、支配−被支配が強い。まず、民衆は叛乱を起こさない。起こせない。一方、近畿は横のつながりが強い。東国武士が西国に領土を得ても、民衆は横に結託して反抗する。だから、西国支配を断念した武士も多い。だが、九州は、となるとまた別。薩摩に領地を得た東国武士である島津氏は、そのまま強大な支配を続け、中世武士の文化コードを頑なに守り続け、貧しいくせに、強大な軍事国家を形成、維持し続けた。

     中世武士的文化コードでは、ヤクザや暴力団と同じく、系譜が大事で、メンツが大事だった。だから、鎌倉幕府が武家諸法度を作った時に、「悪口厳禁」だった。たとえ、鎌倉様の採決で勝ったとしても、悪口を言っちまったモンは、もう、それだけで無条件敗訴。そのっくらい、ヤツラは無駄に誇り高かった。そうしなければ、延々と喧嘩は終わらないわけだ。

    12月23日「ダンディズム 靴、鞄、眼鏡、酒・・・」落合正勝 光文社新書082

    • 2006.12.23 Saturday
    • 21:10
     かっけえ。このぢぢい、確かにかっちょええ。頭来るっくらい、貫いてやがる。ただし、故人ではある。合掌。
     男のこだわりってヤツだな。遊び方も、途轍もない。貧乏人の自分には無理。でも、好きなシゴトをするためだけに、会社をどんどん作っては潰すというやり方は、果てしなく羨ましい。
     結局の所、出来る男だから、かっちょええのだ。ダンディズム以前なんだ。というのが、読後の結論。

    12月22日「給食の味はなぜ懐かしいのか?五感の先端科学」山下柚実 中公新書ラクレ

    • 2006.12.22 Friday
    • 20:51
     実はこれ、錯覚の話と同じ、感覚についての本。味覚やの嗅覚やのが、海馬に近いような所にまで、みたいな話から関わっている。
     あ、ちなみに、タイトルの理由は、美味しいというのは、それ以外の思い出も関わっているから、とかいう解だった。
     はあ、と思ったのが、認知症=前の言い方でいうところの老人性痴呆症 の方を、昭和10年代とか30年代のブツを集めた施設に入れると、いきなりしゃきしゃきと雑巾を縫い始め、楽しそうに思い出話を理路整然とし始めた、という事があるそうだ。そうかも。モノってのは、ただのモノではないのだ。そのエピソードを聞いて、老人介護施設の意義とか、流浪の民の立場とか、色々考えてしまった。

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    2005年9月8日参照

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