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鈴木 理生
筑摩書房
¥ 1,155
(2004-08-10)
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品川駅の近くには、寺が大量にある。なぜか。というクイズがある。答えは、品川は、江戸府内のすぐ外だから、不浄である寺は、その外へ移転させられたから、である。ちなみに、品川だけでなく、旧江戸府内をぐるりと囲んで、寺大量発生地域がある。
というわけで、江戸の町は、当時としては押しも押されぬ世界一の超過密大都市だったわけだが、これには、メシとクソとゴミの問題を解決した、という輝かしい発展のキーがある、とされるのが一般だが、ところがどっこい、ヒトが多いと、死人も多くなる。じゃ、その死人はどうしたんだ?というのが、この本。
死人は、埋めていた。でも、この埋める時に、地面の下で、遺体が腐敗して爆発音がしたりとか、死んだ女が墓の下で赤子を生んでいた、とかいうのも、実は腐乱死体のガス圧で胎内の嬰児が吹き出されたに過ぎないとか、まあ、ぐろいぐろい。
ともかく、きちんと葬ってもらえるのは一部で、まとめて穴に投げ入れられて、無造作に土をかけられーの、その際に業者に衣類をはぎ取られーの、かなり悲惨だったには悲惨だったらしい。
でも、それでも、喰い詰め百姓やら流人やらは、幾らでも江戸に来る。死んでも死んでも、代わりが来る。だから、近代、現代になって、大量の人骨が出てきて、どひゃあ!となる。江戸城の跡にも、こんなに人骨が!すわ、人柱か!?とか言われたけど、何のことはない、そこがヒト捨て場だったからなんだな。
ああ、あと、吉原の大火事で、商品である遊女を救う為に、地下室に避難させた結果、全員、蒸し焼きになったという気の毒な歴史がある。ニホンの家屋は紙と木で出来ているから、燃えたら、一面大火事になるわけで、金銀財宝は無事でも、生きたニンゲンは死ぬしかないわな。そういう歴史があるにもかかわらず、何で、東京は大空襲に備えて、防空壕を作ったんだ、という筆者の糾弾。軍部は、英国やドイツの空爆=爆薬で石の建物を破壊する からの備えとして防空壕を作ったわけだが、建物の研究をした米国は、焼夷弾で焼き払っちまったわけで、結果、吉原の二の舞になっちまったわけだ。
合掌。