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保阪 正康
新潮社
¥ 756
(2005-07)
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打った内容、全部、ミスクリックで消えた くそお。
この人の論は、好きだ。でも、批判とかも多いだろうな。
わしがびっくりしたのは、海軍開戦論。一般的には陸軍の暴走とされるけど、海軍だって、戦艦動かすには絶対に膨大量の油が必要だったわけで、という事。
年代毎に、戦況と庶民の暮らし、そして軍部と更に上層部の動きが説明されているんだが、かなり判りやすかった。
思った事だが、全ては情報系の脆弱だったと思うぜ。精神力だけで戦争が勝てるなんて、そんな幼児性、まともだったら口に出さないだろう。でも、残念ながら、みんな、まともじゃなかった。暗号だって筒抜けだし、そんなんで勝てるわきゃねえ。加えて、現地調達の思想。兵站部を甘く見すぎた。地図だけで、行軍を命令したが、そこがどんな場所で、どういう地形なのか、どういう気候なのか、司令部は知ろうともしない。挙げ句の果てに、全滅させて、部下の気合いが足りないとか、いや、お前の能力が不足してるんだって。
ジャングルに逃げ込んで、酷い有様の原住民を見つけたと思ったら、友軍の日本人だった。ところが、どんなに夜中に逃げ回っても、昼間にピンポイントの空爆を受ける。後で投降して判った事だが、米軍は、ジャングル中に、小型マイクを仕込んでいたのだという。会話、筒抜け。そんなレベル差だ。勝てるわけがない。
末端の兵士達が、ひたすら哀れだ。
硫黄島だってそう。もう、勝つ見込みなんか、一厘たりとも無かった。でも、1日でも、1秒でも、米軍の進軍を遅らせる為だけに、血が流された。兵隊だけじゃない。現地の人々も、だ。
そして、もう一つ思ったこと。陛下についてだ。ぎりぎりまで、口を出さなかった。2.26事件以来、ともかく、沈黙を守られていた。わずかに、御製和歌を引き合いにして、仄めかすって事はなさっていたようだがね。それが、広島の原爆を知って、変わられた。御身を案じる者共に、「大丈夫だ」という、すごい自信で、無条件降伏を決定なさった。
でもよ。その陛下、どうやって、原爆の惨状をお知りになったんだ?だって、周囲は、ひたすら、隠し通していたんだぜ?ここからは、わしの想像というか、妄想だが、やっぱり、陛下、ご自身の情報網をお持ちだったのではなかろうか。極秘裏に、情報機関と、シンクタンクをお持ちだったのではなかろうか。まあ、シンクタンクはともかくも、情報機関無しで、決断はなさらないと思うんだな。
あ、蛇足だが、8月15日が終戦記念日、敗戦の日だと思っている人々が多いが、あれは、単に玉音放送があった日。実際の終戦は、マッカーサーがやって来て、艦上でサインが為されて初めて敗戦だった。 というか、その、サインしに行くのを、軍部の誰もが嫌がったって話が情けない。陛下に比べて、どんだけあかんたれやねん。いや、わしだって、その場になったら、その場に生きていたら、嫌がっただろうが、後の世から見て、やっぱし、陛下のご立派さが身にしみる。
取り敢えず、合掌。