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岡田 温司
岩波書店
¥ 840
(2011-11-19)
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いや、超、おもしろかった!デスマスクて、わしらには縁がないじゃん?でも、西洋ではもっと身近な感じだったみたいなんだな。ほら、ヤツらは偶像崇拝はしないとかいいながら、ヒトが死ぬと焼かないじゃん?すると、崩れるじゃん?なので、その前に型をとっとこうという。
始まりはローマ時代だったらしい。ぶっちゃけ、ローマ時代の彫像なんかもその伝で、父祖のマスクが家を守ってた、みたいなこともあったようだ。夭逝した我が子のマスクを、ってのもあって、それはそれで現在でも涙を誘う。ま、ポンペイの火山犠牲者のも、ある意味天然のデスマスク全身版だけどさ。
で、キリスト教時代になると、威光を表す為に、デスマスクが必要になる。この辺は、エジプトのミイラの蓋とちょっと発想は似てる。棺桶の上に、全身の像が置かれて、豪華な衣装を着せられ、参列者に公開される。何だかなあ。お前らのカミサンはそんなん、あかんでてゆうたんちゃうんかいや、て、ツッコミたいけど、ま、時代のせいだわな。
その後、えらいヒトにはデスマスクってんで、ベートーベンとか音楽家のみならず、学者も偉人も残される。その最終形態が、マダムタッソー蝋人形館と、ロシア中国北朝鮮の為政者の死体陳列だ。
わしらには理解出来んが、何なんだかなあ。
この前に、児童書で(無論、高学年から以上向けだろうけど)、今回の東日本大震災の犠牲者の死に化粧を担当した「おくりびと」の話を読んだんだけど、家族の気持ちで、傷みきった我が子、我が子と思えない程に変わり果てた姿で送るのがつらくて、耐えきれなくて、それで死体復元の人々が大活躍したということだった。睫毛を植え、頭髪を洗い、植え直し、顔を内側から修復し、彩色し、写真を元に、もう、実際には造り上げるような作業らしい。でも、それで造られた安らかな顔を見て、ようやく家族は再出発出来るんだそうだ。
生きるとか死ぬとか、日本人だけでなく、この地球人てやつは、ちょっと複雑なメンタリティをもって観じているんだなと知った。